長編デビュー作『37セカンズ』でベルリン国際映画祭をはじめ、世界の映画祭で高い評価を受け、その後も「Beef/ビーフ」「TOKYO VICE」など数々の話題作を手がけてきた、アメリカを拠点に活躍する大阪出身の日本人監督・HIKARIが先日のベルリン国際映画祭での審査員を経て、大阪に凱旋!『レンタル・ファミリー』上映後にティーチイン(Q&A)付の舞台挨拶を実施しました。

Q. 初めのご挨拶
A. アイデアが浮かんだのが、2019年。かれこれ7年。温めてきた作品です。日本が実は最後なんですよ。アメリカから始まって、イギリス、オーストラリア、スイス、ヨーロッパなど全体をぐるっとまわって、時間がかかったけど、こうして映画館で公開が出来て嬉しいです。日本でオールロケでだったのに最後…。でも楽しいのは最後にということで(笑)
Q. 大阪に18歳まで住んでいらっしゃいましたが、そのことは作品に影響を与えていますか?
A. 子供の時、吉本新喜劇が大好きで、吉本新喜劇をみて笑って泣いて、最後にハッピーエンド。まさにそれがベースになっています。絶対笑かせてくれるし、泣かせてくれるし、ちゃんとストーリーがあるので、そういうのが私はすごく好きです。
Q. 先日の来阪CPで未知やすえさんと内場勝則さんとご一緒されていましたよね。
A. そうなんです。びっくりしました!ある意味色んなハリウッドスターに会うよりもお二人にお会いできたのが嬉しかったです。小さいころから見ているから、うわっ!みたいな感じでサインももらいました(笑)
Q. キャスティング界のアカデミー賞といわれる“アルティオス賞”受賞!感想をお聞かせください。
A. これは私も知らなかったです!これはすごいことです。大光栄です!日本の作品で日本人のスタッフで、日本で撮影して、1人ハリウッドの役者さんであるブレンダン・フレイザーさんだけでという形だったので、どういう風に世界の人から意見というか、気に入っていただけるかなと思っていましたが、すごく皆さん大好きっていうメッセージを毎日フェイスブックやインスタグラムとかでいただけるので、言語が違っても、ハートがつながっていればいいのかなと、そこにたどり着きましたね。
Q. 一番最後の終わり方、何パターンかあったのか。それとも初めからあのように終わると決めていたのか。
A. 終わりは2つ考えていて、1つの終わり方、従来は橋の上でさようならするっていう2人のシーン。脚本の時点ではこの終わり方で、私の中では最終的には絶対これで終わりたいっていうのがあって。ただ、アメリカのスタジオの方のこうしてほしいっていう意見も聞きながら、編集していかないとダメなんですよね。最終的には、神社で終わらせたいっていうことで。彼のストーリーなので、彼が最後自分と向き合うっていう意味と、神様って手を合わせたその先には、実は自分、自分も神様の一部。デバイジングっていう意味も含めて、最後はあのシーンになりました。
Q. この映画で一番大変だったことは?
A. 涙、涙の毎日でした。この年は春がとても寒くて、桜が咲かなくて、ずっと桜待ち、桜待ちって感じで。3週間ぐらいずれたんです。もともと最後のお葬式のシーンは満開の日だったんですが、ご覧の通り雨も降っていて。あの日、朝一で撮影を始めて、最初雨は降っていなかったので外から撮影始めたんですけど、2時間経って雨が降り始めたんですよ。なので、もう一回撮り直し、頭から撮り直して。それが大変でしたね。その桜を追いかけるっていう形で、もともとあった桜が満開の学校の所に、フィリップが迎えに行くっていう設定だったんですけど、桜が全然なくて・・・急遽キャンセル、もう撮れないということになり、あの橋を探して、一回だけみにいって翌日撮影っていう。そこが大変でしたね。
Q. 一昨年天草の倉岳神社に行ったのですが、あの木はあの辺にあるのですか?
A. 倉岳神社は雨と雲で何もみえなくていけなかったんです。あの木は、椿があるところで、ロケハンにいった時はもっと木がわさわさしていてものすごく壮大だったんですけど、今度いったら葉っぱが落ちていて、少し寂しい感じになっていたのですが。島自体が岩でできていて、結構危ない。だけどもう一回みたらわかると思うのですが、椿の木も岩の上に根っこが張っているっていう、そのビジュアルが大好きで、なんか生きてる!って感じがして、あそこを選びました。
Q. 主演のブレンダンさんのお茶目なシーンをたくさん見せてもらいましたが、お好み焼きをひっくり返すシーンは何テイクかされましたか?
A. 2、3テイクしたかな。結構彼のことお好み焼きやさんに連れて行ったりしていたので。でもひっくり返したのは初めてで、普通のひっくり返し方とは逆にしたんです。落ちると思ったけどなんとか大丈夫でしたね(笑)
Q. 実際に人材派遣サービスをしている会社で働いている人に話を聞いたり、それを作品に取り入れたりはあったのでしょうか。
A. もちろん!最初に私の共同脚本家のスティーブンと一緒に、アメリカ人が日本でお仕事をする時にどんな仕事があるのか色々検索していたら、パトラーっていう執事の恰好をしてコーヒーを出したり、英語の先生とか。そんな中でレンタルファミリーが出てきて、「レンタルファミリーって何?」となり調べ始めた。すごく悲しくなる、本当に心がきゅってなるストーリーもあったし、その一つが男性が亡くなられる前に疎遠になった娘に謝りたい。でも連絡がつかないから、どうしても彼女を雇いたいっていうことで、レンタルファミリーを雇って、彼は謝ることができて、最後亡くなられたというストーリーがあった。そこから色々なぜこのビジネスが日本に存在するのか、どういう人がこういうサービスを使うのかにすごく興味があったので、会社を経営されている人だけでなく、そこで働かれている人にもお話をききました。ただ、そのクライアントはもちろん連絡ができないので、その辺りはリサーチで、小さな記事を全部拾い上げて、こういうのが実際にあるんだよなっていうのを知って。そういうのをベースに全く新しいストーリーを自分たちで書きました。
Q. 仮想空間など色々混ざり合って描写されていたのがとても印象的でした。私にはファンタジーに感じましたが、この作品はどういうジャンルの分類に入るのでしょうか?
A. この作品のジャンルは、最初は、ドラマでと思っていたのですが、アメリカで英語でドラマとコメディが合体する“ドラマディ”というのですが、元々脚本を書いてあったときは、ドラマの意識で書いていて、そこにヒューモアがあってという形だったんですけど、気が付いたらアメリカではコメディになっていました!でも誰かがこれはコメディじゃないっていう風に言ってくれて今はドラマに戻っています(笑)でも、確かにファンタジーと思われる方も、よくそういうお声も世界中で聞きますね。そういうところもあるのかもしれないです。人生はファンタジーですから。
Q. 人生の中で心に残った作品でした。どうして日本の景色や映画を作りたいと思ったのか。また、どうして主人公(外国の方)からみた日本のアイデンティティを描こうと思われたのでしょうか?
A. 私は18歳、高校生でアメリカに行ったんですけども、その時にアジア人が高校で唯一私1人だけという時期があって、白人ばかりの町(ユタ州)に住んでいたんですけど、そのときにすごく寂しい思いもありながら、その中でアジア人じゃないけども白人の人たちはすごく私のことを大切にしてくれました。その時の感情を言葉が通じなくても、その頃私は英語を全然話せなかったので、言葉が通じなくても国籍が違っていても、愛情が生まれるんだなと体感したので、それを日本に表現したかったです。私は日本を出て30年ぐらいでもうアメリカにずっと1人で住んでいるので、日本に帰ってくると日本の素晴らしさをひしひしと感じます。食べ物もそうだし、ベルリンから帰ってきてとにかくご飯が食べたくて仕方なくなります。その日本語の美しさや人の優しさとか私たちには多分気づかない、日本の素晴らしさというのは、世界中の人が気づいています。そういう発見も含めてこのストーリーを描きました。

